ミライテコブログ~ぶんぶんCEOのつぶやき

青森市に設立した株式会社ミライテコのブログです。

なぜ青森にベンチャー企業を設立するのか?

色々と準備を重ねて参りましたが、平成30年8月8日に青森市で会社登記を行う予定です。

 

名前の由来は出資してくれた株主の名前をアルファベットにし、その1部を組み替えてつなげた名前です。また、意味的には未来にレバレッジできるような会社にしようと言う意味もあります。

 

さて、なぜミライテコを作ろうかと思ったかと言うと、20代前半の池上の体験と発想に源を発します。

 

学んでいた大学の獣医学部青森県十和田市にあり、2年生から卒業まで青森にて過ごしました。京都出身の自分としてはカルチャーショックが多かった青森生活ですが、社会人になるにあたり、もう少し青森で生活をしたいなと思っていました。

 

自然豊かな環境で、不器用だけと温かい心を持つ人たちに魅了されていたとも言えます。


そこで入社した製薬企業の配属に青森営業所を希望しました。関西が日本の本社だったその会社では、初めてそんな風変りな新入社員が出たと言うことで即座に希望を叶えてくれました。ほとんどの新入社員が東京や大阪を希望する人ですから、地方希望は非常に少なく、渡りに船の状態でした(笑)

 

そして、社会人1年目から外資系製薬企業の青森営業所所属のMR(プロパー)として勤務していたわけですが、様々な医療機関を回るにあたり、医療機関という所はいろんな課題があり、それをサービス化するとビジネスになるかも~と言う事は早くから理解はしていました。

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しかし、それをどのように事業化できるか、どうすれば会社を作ることができるのか、そしてその会社を安定的に経営することができるのかという事は全くわかりませんでした。

 

1つだけわかったことは現場経験をしていかないとわからないと言うことでした。そんな時に得意先のクリニックの院長から事務長にならないかと言う打診をいただきました。その当時、まだまだプロパー色の強い時代でしたので、仕事でお金にまみれたドクター達を見るのもあまり好きではなかったというのが本音でもありました。


しかし、今から考えると本当に甘~い考えで、なんの準備も知識もないのに、事務長になれるんだと思って行ったことが結果的に、多くの方々にご迷惑をおかけすることになる訳で、無知と若さがもたらす無鉄砲さは本当に恐ろしいなと思います。

 

事務長になるときに1つの希望がありました。それはその院長にも伝えていたことなんですが、門前調剤薬局の設立を将来的に行いたいと思っていたということです。

 

しかしながら、いざ事務長の仕事(雑務)をやっていて、自分が全く楽しくないと言うことに気づいてしまいました。院内での先輩スタッフによるパワハラもあり、何よりも事務仕事が自分に向いていないと言うこともありました。

 

人間的には好きだけど、こんなやつに事務長という肩書つけてしまって、これは駄目だなと院長も思っていたと思います。そして、ましてや調剤薬局の経営を任せるなどもっての他だと思っていたことでしょう。

 

事務長という名前になんか良さそうだと思って、就いてはみたものの、自分に適性がなく、一生懸命やるも、まったく成果も上がらず、楽しくない状況になると言うことを人生で初めて経験しました。(MRの時はそれなりに楽しく仕事していたので余計にそう感じてしまいました)

 

その結果、1年半で体重が70キロから52キロまで激減しました。食べても食べても太れず、仕事が終わり、家に帰ると朽木が倒れるように眠る日々でした。自分もハッピーではないし、一緒に働くメンバーもハッピーな状態ではありません。

 

結局、クリニックを退職し、ほぼ同時期に離婚もし、すべてを失って、3か月間完全に廃人と化していました。その間、何をして、何を考えていたのかほとんど記憶がないくらいの経験でした。(でも、全部自分のせいですから、頭の中は完全にフリーズ状態でした)

 

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しかし、今になって振り返ってみるとその時の経験が大きく役に立っていることがわかります。

 

クリニックの院内はどのようなパワーバランスで仕事が成り立っているのか。どのような流れで仕事が進んでいるのか。院長のメンタリティーはどのように変化するのか。院内のいじめとはどういうふうに行われるのか?取引先の帳合や新製品の採用はどのように決定されるのか、などMRの時に仕事をしていた時の疑問が答え合わせされるようにわかったからです。

 

廃人後の回復をどのようにして行ったのかはまた別の機会で書こうと思いますが、本当にどん底に落ちると人間は気づくものが大きいし、リバウンド力が強いんだなと身をもって体験した訳です。

 

その後、自分で起業し、クリニックのサポート事業を行うときにこれらの経験と知恵が大きなエンジンとなって後押しをしてくれました。2000年に開業したメディエンスは今年で設立18周年を迎えることが出来ました。あの経験がなければメディエンスという会社も出来ていないし、ここまで継続しなかったと思います。

 

ということで、もともとは青森が好きで、青森に医療で貢献し、調剤薬局で起業しようと思っていたと言う過去があります。あわよくば永住しても良いなと思っていたぐらいですから。

 

それが26年前になります。

 

そんなブラック歴史のある私ですが、ずっと青森愛は変わることがありません。その起業のきっかけを作ってくれたのがヘルシーパスの田村さん、そしてふるさと21の森さんです。

 

池上が青森のことを好きだと知っていて、「私の青森の友人を紹介しましょう!!」と紹介してくれたのがふるさと21の森さん親子です。

 

森さんは青森県むつ市で有機野菜のネットワークを構築し、手広くビジネスを展開されています。私は自分もMRの時に担当エリアだったのでよく知っているのですが、起業に最も適さない場所の1つです。そんなところで全国に知れ渡るような会社を作ると言う事は本当に凄いことだなと思いました。

 

そんな森さん親子と話をしてるうちに、再度、自分でも何か青森でできるのではないかと思い始めました。それで自分の思いを森さんと田村さんに話したところ、それは面白いじゃないかと言うことで株式会社ミライテコ設立の第一歩を踏み出すことになりました。

 

よってミライテコの株主はヘルシーパス田村さんとふるさと21の森さんが最初に決まりました。その後、ヘルシーパスの幹部2名とウィメンズ漢方薬の住吉社長が加わり、合計6名の株主でスタートすることになりました。

 

全員が「医療、ヘルスケア、医食同源」と言うテーマでつながっております。

どんなことをするのかは次のブログで書きたいと思います。お楽しみに。